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ユア・ストーリーなど、最近観た映画

 先々週、一気に3上映(うち1上映は2本立てだったので、全部で4本)の映画を観ました。一つ一つの感想はそう長くならないと考え、1エントリーにまとめて書いてゆきます。

 

※全体的にネタバレを含みますので、ご了承ください。

 

 

騎士竜戦隊リュウソウジャー THE MOVIE タイムスリップ!恐竜パニック!!

 

 ライダーでも敵だったのに強キャラ感しかない佐野史郎さん、学芸員をナンパしただけで変身すらしてないカナロ、博物館で嬉しそうなメルトが可愛い…辺りが印象に残りました。コウの演説だけで、何百年と生きてて信念が固まっているリュウソウ族の長があっさり改心するのは…30分映画なので仕方ないのかもしれませんが。

 

劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer

 

 今回のゲイツやたらデレてませんでしたか…?ウォズは色んな組織のスパイをやり過ぎで、今後の続編やスピンオフでも敵側についてはまたソウゴに寝返るを繰り返してそうです。全体的に「ライダーの設定が…」などとメタ発言が目立ち、悪ノリも多かったですが、ジオウらしいといえばらしい。しかし…後述します。

 

天気の子

 

 公開直後に方々でかなり語られていましたが、自分としては特に引っかかることもなく単純に楽しめました。ラストが現実世界とは違う末路を辿りますが、それはそれでアニメだから…という妙な納得感があります。劇中でも言われていましたが、主人公カップルにそこまでの特別感や責任を求めないようにすると、ちょっとファンタジックな青春映画として観られると思いました。

 

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー

 

 問題のコレ。終盤にゲームから現実に引き戻すという禁じ手を放ってくるこの映画、その1シーンで「興が冷めた」という批判を多く目にします。しかし、公開からずいぶん日が経ってからのブログになりますので、別の解釈をしてみたいと思います。

 

 登場人物の中で、種明かしの前に「今回はまずい」というメタ的な発言をしてくる人物が2人います。ドラクエ5の世界における神様であるマスタードラゴンプサンと、主人公の母親で強大な神通力を持つマーサです。

 

 神や神に近い存在の2人は、おぼろげに自分が住んでいる世界の秘密(この世界がゲームであること)を知っており、市井に生きるヘンリーやビアンカ・フローラは、それを知る由もなく、自分の人生を必死に生きているのではないか。

 

 …そう考えると、彼らを「ただのデータ」と揶揄していた敵の発言は虚ろとなり、主人公が「この世界は本物」と大見得を切った事にも深みが出てくるんじゃないかなと、そう考えてみたわけです。

 

 「興が冷めた」問題を抜いて考えると、少年時代が超ダイジェストだったのが「ゲーム開始前に、少年時代:スキップの設定をしたから」という伏線はちょっと面白いなと思いました。自己暗示プログラムはトンデモだと思いましたけど。

 

 個人的には、擁護だ批判だと難しく考えず、あのエッチな格好をした5主人公の筋肉を楽しむ映画として観ればよいのでは…と思うわけです。

 

総評・メタネタについて

 

 今回、ユア・ストーリーが作品内外で様々な批判に晒されておりますが、小説版の作者に話を通していなかったというフロントの不手際はさておき、作品そのものの批判の中心にあるのはメタネタ、作中で現実の話を持ち込まれて興醒めした、という部分に尽きると思います。

 

 ただ、僕は「感動した」とは言えませんが、上記の通り伏線回収にまあまあ関心したのと、そもそもこういったメタネタはラノベ界隈を中心に使い古された設定なので、まあこんなものか、「今回は」そうなのね、と思った程度で批判意見を書かれている方ほどの怒りは感じませんでした。

 

 ですがあえて言わせて貰うと、ジオウにしろドラクエにしろ、世の中で大作と呼ばれる正統派の作品においてはメタネタによる遊びはやめてもらいたく、作品世界の中で楽しませて欲しいと思うのです。夢を見させてくださいと。メタネタは濃い味のドレッシングでしかないと思うので。

 

 そういった意味で「天気の子」は、現実ではあり得ない状況に陥りますが、ああいった表現こそアニメだからできる事であり、フィクション作品の正しい姿に感じられます。あちらはあちらで、あのラストに興醒めしたという意見も散見されますが…。