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サウザンドオリガミ

千羽鶴を送るのはかさばるから迷惑とか、そうかもしれないけど言い方があるだろ、という話で喧々諤々していますが、歳なのか最近この手の議論がどうでも良くなってきたというか。

 

もう少し若い頃はSNSなりコメント欄なりで意見言いまくって議論しまくってみたいなことをやってたと思うんですが、それはもういいかなという感じになってきています。

 

自分の考えとしては物資に一羽添えるくらいならアリだけれどもやっぱり千羽はかさばるし要らないんじゃないかな派なのですが、それについてはひろゆきさんがもう言ったんで自分から発信するのは別にという感じです。

 

千羽鶴に限らず、日本人て「コツコツ集めて何となくいいことした(無料で)」が好きですよね。

 

僕はこれがあまり好きではなく、若い頃はめっちゃ噛みついていましたし、現在も好きではありません。

 

僕は中2の頃に生徒会役員などをやっていたのですが、その頃は「アルミ缶を回収して売却益で車椅子を買ってプレゼントしよう」という活動をやっていました。後から調べたら当時流行していたらしく、全国の学校で似たような活動がおこなわれていたようです。

 

アルミ缶は僕が役員になる前の年代から回収されていて、集まった缶は役員が放課後に踏んで潰してカサを減らしてからポリ袋に詰め直して校舎裏に積み上げておきます。あと、スチール缶が混ざっているのでその分別もまあまあ重労働でした。

 

こんな活動が数年前からおこなわれ、自分の在任中も毎週のように作業をおこない、中3からは生徒会からは離れたのですが、同輩や後輩が相変わらず頑張っていました。

 

しかし、自分が卒業し下の兄弟が卒業するに至る数年後まで、ついぞ車椅子を購入できたという話を聞くことはありませんでした。

 

一説には車椅子が買える程度の売却益を得るまでは約4万缶が必要という話なのですが、インターネットもない当時に、顧問教師の異動も激しい公立中学で、この活動がしっかり引継ぎされるものなのか非常に疑問です、と後になって。

 

その数年後にはプルタブを外して回収するという謎の活動も流行りましたが、これについては高校生の僕が聞いた瞬間に「なんだそれ?」と思いました。

 

昔の「外れてしまう」プルタブを集めようという昭和の活動が歪んで伝わったものと考えられますが、その頃には既に「外れない」プルタブが主流だったので(缶ごと廃品回収するならともかく)わざわざ外して集める意味が分かりませんでした。

 

その後、ペットボトルの蓋を集めて途上国にワクチンを送ろう!というキャンペーンもありましたが、車椅子を一発数円のワクチンに縮小して現実味を演出していたものの、集めた蓋の送料ですでに千円以上になるやんという費用対効果の矛盾はそのままでした。

 

ペットボトルの蓋については保険会社が客に呼び掛けて宅配業者を巻き込み、宅配業者の送料免除という形でツッコミを回避して大々的にやっていましたが、そこまでしてなぜやる?と。

 

以前勤めていた会社の事務の人が協力していましたが、知らないうちにキャンペーンが終わっていて誰も蓋を回収してくれなくなり、給湯室にゴミのまましばらく放置されていました。これについては呼びかけた保険会社の無責任ぶりにも呆れました。

 

それで、ここまでの話が全て台無しになりますが、リサイクルゴミは各自治体が回収・換金して福祉に役立てているので、別の団体が別で廃品回収をしたところで単なるパイの取り合いに過ぎず、ゴミの分別をちゃんとやるのが一番手間がなく無駄がないのです。

 

百歩譲って学生がやる活動としてなら人海戦術も取れるし意義もあるかなと思うのですが、寄付できる金を持ってる企業や大人がやることではないと思うわけです。

 

「子供の教育になる」については、実際にいい大人になっても費用対効果を考えず、「自分で金は出さずいいことした気になる」道具としてこういう真似をしだすので、教育の失敗なんじゃないかと。

 

千羽鶴も何らかの学校や施設で作るときにはこれに近い性質になり、そういった点に炎上の火種があるのかなと考えます。勝手知った相手へのお見舞いとはまた別の話になっていくので。

 

なんかどうでもいいという話からはじめましたが、めっちゃ語ったし今でもめっちゃ嫌いじゃないですかね…ブログネタとして書き始めたら恐ろしく筆が乗ってしまいました。